TOEICは意味ない論に対して、満点の自分が反論する。なぜTOEIC高得点を目指すべきなのか。

英語力を測る試験として重宝されているTOEICですが、この話題になると決まって「TOEICなんて意味がない」という人がいます。

そして「TOEIC意味ない論」には確かに理があり、私も理想論から言えばTOEICは必要ないと思っています。

この日本における現実論として考えて見た場合、TOEICが英語力向上に対する大きなインセンティブになっているのは事実です。

この記事ではTOEICと実践的な英語力の違い、そして日本においてTOEICで高得点を取ることの意義を率直に考えて行きたいと思います。

他人の能力なんて経歴でしか判断できない

「私のTOEICスコアは990点(※満点)です」

もしもあなたが英語が全くダメな面接官で、就職活動に来た人がこんな風に言えば、「こいつは物凄い優秀なんじゃないのか?」という先入観が働くと思います。

これはTOEICに関わらず、新卒の学生が「ハーバード大を卒業見込みです」なんて言えば、その人の能力がどうあれ無条件で採用フィルターがかかることでしょう。タレントのパックンは実際にハーバード大卒であるがゆえに、文化人として活躍の機会を与えられています。

逆に中卒で特に何の経歴も資格もない人が、いかに自己アピールをしても大きな会社は絶対に取り合ってくれません。

「経歴より能力が重要」とは言うものの、そもそも人の能力ってどうやって他人が判断するのでしょうか?

確かに半年も一緒に同じ部署で毎日働けば能力が分かってくるかもしれません。でも隣の部署にいる人の能力をあなたは正確に判定できるでしょうか。

同じ会社に毎日いる人ですら、他人の能力は結局のところ「何をやったか」でしか判断できないのです。これは誰が悪いというわけでもなく、他人の情報を深く知るには長い時間が必要で、初対面の人をその場で根掘り葉掘り知ることはできないのです。

インパルスによる「能力が高すぎる就活生」というコントがあります。

関連動画を含めると1000万回ほど再生されている大人気コントですが、これはレストランの伝票を差す筒を作っている会社に、とんでもない経歴を持った人が応募してきて、工場長と面接をするという内容です。

二階堂(※堤下)という就活生は日本人最年少で宇宙飛行士になり、その後外科医で大手術を成功させ、アメリカ陸軍特殊部隊グリーンベレーに所属していたという経歴を持っているのですが、経歴を話すたびに工場長がビビってたじろいでいきます。

最後まで二階堂の内面は掘り下げられないまま、経歴が話されるたびに「才能の塊じゃないか」という妙な説得力があり、実際に宇宙飛行士時代には世間で話題になっていたことから、ますます信憑性を帯びてきます。

もちろんこれはコントの世界ですが、初対面や関係の薄い人の能力を判断する時に、結局はその人の経歴や実績が最も説得力を持ちます。

長期留学を経て英語が流暢だけど、TOEICの点数が低いよりも、英語はからっきし話せないけどTOEICの点数が高い方が、残念ながら世間的には評価されてしまうのです。

これはTOEICだけに限りません。アスリートは最たる例で、その選手の本当の実力よりオリンピックでメダルを取ったかどうか、プロでタイトルを獲得したかどうかでしかほとんどの選手は評価されません。

私も陸上の実業団で食べさせてもらっていた過去があるので、このようなあまり言いたくはないのですが、国民栄誉賞を獲得した伊調馨選手や吉田沙保里選手の女子レスリングは世界の競技人口が数千人レベルと言われています。

その中で階級分けがされているので、金メダルを取る実質的な競争率は、男子サッカーで年代別代表に入るよりも低いのが現実です。

でもだからといって吉田選手や伊調選手にとやかく言う人はいません。こうして例に出すだけでも、本当に情けない気分になるほどみっともないことです。(本当にごめんなさい)

結論として何が言いたいのかというと、TOEICで高得点を取るという経歴は社会人にとって大きな武器であり、「本当の英語力」は他人からは判断できないということです。

TOEICで満点を取るだけで、大富豪の革命状態に

突然ですが、私はこれまで大学受験というものを経験したことがありません。

中学生から始めた陸上で好成績を収めたので、高校・大学ともにスポーツ推薦で入り、社会人も数年でしたが実業団として陸上で食べさせてもらいました。

定期試験の成績は中くらいでしたが、それでも受験勉強を必死にやってきた人からすれば全く比較にならないような学力しかありませんでした。

机に向かうよりもトラックにいた時間の方が長いくらいでしたが、大学在学中に英語学習にハマり、そこから独学で勉強を重ねて、陸上をやめた後は1年ほど英語だけずっと学習していました。

その間にTOEICで満点を獲得したのですが、満点という事実はとてつもなく大きいです。「TOEIC満点です」と言うだけで、「スポーツやってたのに勉強もできて凄い」とほとんど全員から言われるようになりました。

これまで人生で勉強で褒められたことなんてないのに、たった1年勉強するだけでこんなに世間の目は変わるのかとビックリしました。

人生の総勉強時間は間違いなく一般的な社会人より少ないですが、「TOEIC満点」という響きだけでもっと努力してきた人よりも称賛されてしまうのです。

確かにこの風潮は必ずしも喜ばしいものではないと思います。でも個人の生存戦略としては費用対効果が余りにも良いと感じたのは事実です。

日本では英語力が評価されすぎる

先進国で日本ほど英語が話せる人が評価される国はないと常々思っていたのですが、これは海外在住YouTuberのマサさんという人も同じことを言っていました。

マサさんが話していることに完全に同意なので、その内容を紹介します。

日本くらいだと思うんですよ、こんなに英語を喋れたらカッコいいとか凄いみたいに過度に讃えられることって。韓国でも韓流スターが英語や日本語喋ったりとかあるんですけど、日本ほどステータスとして見られない。

ここまで英語がステータスとして見られるのは、相対的に日本人が英語ができる人が少ないというのがあるし、もう一つ大きいのは、海外に凄い夢を抱いてると思ってて。

日本って大体ビジネスをするのでも日本で何でもできちゃうじゃないですか。日本一になったらとんでもないビジネスが出来上がっちゃって日本を出る必要がない。他の国だとまずその国を出ないと成り立たなかったりするんですね。

ドキュメンタリー番組とかで海外を凄くオシャレ風に撮るじゃないですか。ニューヨークのタイムズスクエアとか行くと、「ここで色んなことを体験して人生変わったな」とかあるじゃないですか。

凄くオシャレなカフェを撮ったりしますけど、行ってみて分かるのはそこまで大したことないなと。正直、渋谷の方が凄いなと思いましたね。田舎出身なんですけど、初めてタイムズスクエアに行ったときよりも、渋谷に行った時の衝撃の方がデカかったですね。

私がここに追加で思うのは、「自分たちができないことを過度に評価している」という要素があると思います。

欧州の人は大体英語を話せますが、彼らの英語はお世辞にも綺麗ではないですし、ネイティブからすると訛りが酷く感じるそうです。でもそれを聞き取れない人は「あの人は英語がペラペラだ」と思ってしまうように、自分ができないことを適正に評価できないのです。

正直、英語が話せることなんて先進国では当たり前です。でも日本ほど豊かで教育が発展してる国なのに、こんなに英語が話せることがステータスというのは、個人の戦略としてはとてつもない武器になるのです。

これが綺麗事を抜きにした、私の率直な感想です。

TOEICに労力を注いだ時のリターンが余りに多い

私は受験勉強をしていませんが、大学受験をする皆さんのモチベーションは何でしょうか。

中には将来の明確なビジョンがあって、専門知識を得るために大学を選ぶ人もいますが、大抵の人は偏差値の高い大学に入ると人生の様々な局面で有利になることを知っているから勉強します。

そして最終学歴というのは人生死ぬまで付いてきます。安倍首相は総理大臣として奔走していますが、何かあるたびに「成蹊大学しか行けなかったバカ」と、一般人どころか知識人にすら言われます。

学者の落合陽一さんも「偉そうなこと言ってるくせに筑波大学しか行けなかった」と言われます。こうした風潮は本当に情けなく感じますが、残念ながら学歴というのは自分が社会活動をする限り人の目に留まってしまうのです。

そして私も胸を張って言えるようなアスリートの実績も、学歴もありません。でもこれから社会で活躍したいという意識を持った時に、実はあえてTOEICで満点を取ることを目標にしました。

なぜTOEICなのか。実は一瞬だけ東大の大学院を目指そうと思ったのですが、学部時代に何の勉強もしてこなかった自分が入るのは現実的ではなく、最短で大きなインパクトを得られるのがTOEICで満点を取ることだったのです。

実はTOEICで満点を取った後に英検1級の試験を受けたのですが、一度落ちてしまい、その後に合格しました。

英検1級を取るほうがTOEIC 930点前後を取るより遥かに難しいのですが、なぜか日本ではTOEIC高得点の方が評価されます。理由は分かりませんが「英検は中高生でもお手軽に受けられるから」といったイメージがあるからでしょうか。

実際に英検1級の問題を見ると鼻血が出るほど難しいです。これを一発で受かる能力は私にはありませんでした。

でも結果から言って、先にTOEICで満点を取ったのが大正解で、英検1級よりも楽に大きなインパクトを残せたのです。

ここまで読んで頂いた方は既に疑問を抱いていると思います。TOEICを取ることが目的化していて、英語力のある人材の育成という本来の趣旨から外れているのではないか、と。

確かにそれに反論する余地は全くありません。そして茂木健一郎さんをはじめ、「TOEIC意味ない論」を唱えている人の理論的根拠はそこにあります。

TOEICで高得点を取るだけが努力の割に余りにも美味しいのではないかと思いますが、でもこれはスポーツでも同じことが言えます。

度々出して本当に恐縮ですが、女子レスリングはある意味でTOEIC的な部分があります。反対に陸上は全く報われない競技で、身体能力的にどんなに努力をしてもネグロイドには敵わず、100mやフルマラソンでもなければ日本一になっても大したステータスは得られません。

自分が投下する努力をどこに注ぐかという選択は自由ですが、一つ言えるのはTOEICに注ぐと得られるリターンがとても大きいということです。

TOEICで満点を取っても英語が話せるようにならない

「TOEIC満点だけど英語が話せません」と言ったらきっと幻滅されるかもしれません。でも私がTOEICで満点を取った時には英語を話せないどころか、洋楽も洋画も正確に聞き取ることはできませんでした。

(※一般に言うTOEICとは、聞く・読む能力に特化した「Listening & Reading Test」のことですが、話す・書く能力を問う「Speaking & Writing Tests」なども実施されています。ただし、受験者は圧倒的に「Listening & Reading」が多く、就活の足切りに問われるのもこの試験です。)

TOEICで点数が低くても英語が流暢な人もいますし、私がそうだったようにTOEIC高得点でも英語を実践で使えない人もいます。

というよりTOEICで満点を取るには対策が必要で、おそらくネイティブの人が受けても満点にはならないと思います。大雑把ですが、例えるとこんな感じです。

「TOEICの受験者のうち一部だけが英語が話せます。点数が低くても話せる人もいますが、点数が高い人の方が話せる率が高くなります。」

総括するとこんな感じでしょうか。まさしく就活における学歴と同じで、学歴がなくても優秀な人もいますが、学歴が高いほうが優秀な確率が高いので、フィルターがかけられることは周知の通りです。

でもTOEICはリーディングとリスニング力しか問われず、また試験の傾向がハッキリとあるので、ここを徹底的に対策すれば満点を取ることは十分に可能です。

一度も英文を書くことなく、そして話すことなく(簡単ではありませんが)満点は取れてしまうのです。

TOEICについて知らない人はこの単純な事実を知りません。ですからTOEICで満点を取るとあたかも英語がペラペラであるかのうように錯覚されるので、「TOEICは意味ない」とも言えますし、「TOEICは費用対効果が良い」とも取れてしまいます。

TOEICは対策で高得点を取るのが容易

私のように特定の資格を徹底的に狙い撃ちする人は珍しく、一般的な英語学習者にとってはTOEICで満点を取る方が英検1級に合格する方が難しいと思います。

でもTOEICは多少の基礎力があれば太刀打ちできるのに対して、英検1級はビビるほど難しい単語がサラッと出されるので手も足も出ません。例えるならTOEICはセンター試験であり、英検1級は難関大学の入試でしょうか。

TOEICはグローバルかつ受験者のレベルを問わないので、半端ない難易度の問題は一つも出題されません。その代わり2時間強の試験は高い集中力で素早く問題をこなすスピードが求められるので、試験慣れをしていることが絶対に必要です。

また登場する文章の内容や、単語・フレーズは画一的で、どの試験を見ても、普段は全く使うことのない小冊子を意味する「brochure」が登場するなどハッキリとした傾向があります。

マークシートの200問形式であることと、問題の傾向があることから、対策せずに750点ほど取れるのであれば、少し対策をすれば簡単に900点以上を取ることができます。

やはり総じて対策が容易であり、TOEICだけに特化した学習をすれば、世間のイメージとは裏腹に高得点を取るのはさほど難しくないのです。

TOEICと実践的なリスニングは全く別物

世間的にはTOEICで満点を取れば、こんな感じのディスカッションができると思われるかもしれません。

でも私のように狙ってTOEICを満点を取った人間には、議論どころか日常会話すら怪しいレベルでした。

英会話コースで「日常会話コース」は初級レベルとされますが、ネイティブと日常会話をするのってイメージと反してかなり難しいんです。

まずTOEICのリスニングはネイティブの速度より随分遅いですし、発音もとても綺麗です。もしもネイティブの一般的な会話をそのまま出したらほとんどの人は一問も理解できなくなってしまいます。

もちろんTOEICで高得点を取れるようなら「何となく」は意味を理解できます。でも日本語を話している皆さんは、単に単語を並べているのではなくて、文章の裏にコンテクストを織り交ぜていますよね。

例えば政治の話になると「自民党は〜」とよく言われますが、それは自民党が長らく政権を取ってきた背景があり、それを額面通り受け取ると、自民党がまるで駄目な弱小政党のように感じてしまい、正しく意味を理解できません。

何気ない会話でもTOEICにないスラングが出たり、言葉を短縮したり、コンテクストが入り混じっていたり、その国のネイティブと話すのは留学経験のない純ジャパにとって簡単なことではないのです。

現実論としてTOEICの意味はとても大きい

ここまでTOEICにまつわる事情を率直に話してきましたが、TOEIC受験に興味がある人はまだしも、そうではない人にとっては「TOEICは本質的に英語力向上に寄与していないのでは?」と思われるかもしれません。

でもそんなことはありません。実際に私はTOEIC満点を足がかりに、当初の目標だった海外での就業までこぎつけられました。

私はTOEICで高得点を取ることについて「簡単だけど難しくはない」と良く表現しています。

またスポーツの例えになりますが、陸上の100m走は個人の才能にはっきりと依存していて、凡人がどんなにトレーニングを積んでも、才能ある選手の中学時代にすら敵いません。

芸能人として活躍している武井壮さんは、大学から陸上を始めていますが、始めて100mを走った瞬間から、高校までのエース選手より早かったそうです。これまで陸上を死ぬ気でやってきた努力はなんだったんだという話ですよね。

残念ながらスポーツには残酷なまでの才能の差があり、私も二度と繰り返したくないような努力をしてきましたが頂上には手が届きませんでした。

一方でTOEICがそんな一握りの才能が求められるかといえばそうではありません。1日12時間の勉強を続ければ誰だって高得点を取れるでしょう。

しかし英語学習は途中で挫折する率がスポーツよりも高いです。今日から学習を一斉に始めたとして、半年後に残っている人はごく僅かでしょう。英語学習は続けることが一番重要で、要領が悪くても続けていれば勝手に上位に立てるのです。

ではTOEICで高得点を取った人が、その瞬間に英語学習をやめてしまうのでしょうか?

私の知る限り、そこでパタッと学習をやめてしまう人はまずいません。なぜなら短くない期間、一人で地道にコツコツ勉強してきた習慣が根付いていて、既に英語を学習する楽しさを知っているからです。

でも、もしTOEICがなかったら地道にコツコツ勉強を続けられていたでしょうか。TOEICは合否でくスコアという形で明確に点数が出ますし、また先ほど話したように社会的なステータスが上がるという意味もあります。

こうしたところでモチベーションを引き立てられ、自然と英語の地力が上がり、目標点を取れたらまた次の目標を見つけて学習を続けられるのです。

受験勉強だって学習したことをそのまま社会で使うことは少ないでしょう。でも受験があるからこそ皆が一生懸命勉強して、教養を身につけて、社会全体で高度なサービスを提供できるようになります。

TOEICも受験のように「費用対効果が良い美味しい試験」だからこそ英語学習を始めてみるキッカケになっているのです。

最初から崇高な目標は必要ない

TOEICをステータスの材料に使うなと怒られるかもしれませんが、もし高得点を取るだけの学習を続けられるのなら、学習の習慣がついているので、スピーキングやライティングもすぐに伸ばせるはずです。

というより、グローバルでみたら当たり前のスキルである英語学習に崇高な目標なんて必要ないと思っています。

最近では都内の飲食店やコンビニに東南アジア系の労働者の方を多く見かけますが、就労ビザを取って来ている人の目的は端的にお金を稼ぐためです。

でもお金を稼ぐために日本語という特殊な言語や文化を学ぶキッカケになっていますし、日本人労働者がやりたがらない仕事も率先して行ってくれるので社会にとっても望ましいことです。

文化的な側面が大きいスポーツでも、南米の貧しい子どもたちがサッカーを始めるのは、将来大金を稼ぐためというのが一番の原動力になっています。

白状すると、私は陸上をやめた後、学歴ロンダリングをするために東大の大学院を目指しましたが、学部時代のコネもない自分にとって入るのは現実的ではありませんでした。

その後、もともと英語学習をしていたこともあって、TOEIC満点を取れば周りの目が変わるんじゃないのかと思い、必死に勉強して満点を取ると、まさに大富豪の「革命」状態です。一度も(学校の)受験をしたことがない自分がこんなにデキる人に思われることにビックリしました。

でも結果として英語がますます好きになり、もっと実践的な練習をしないとダメだということで、ライティングのある英検を受けたり、オンライン英会話でトレーニングをした末に、海外に出ることに成功しました。

もちろん皆さんに目標を強いるつもりはありませんが、英語を話せたり、TOEICで高得点を取ることが過剰に評価される日本においてはTOEICは有効な生存戦略となることを率直に伝えたく、記事を書かせて頂きました。

新たな気付きや英語学習を始める一つのキッカケになれば幸いです。