どうも、ゴトーだ。

俺は三度の飯よりボクシングが好きでな。
本当に小さい頃に坂本博之vs畑山隆則の試合を見て以来のボクシングファンだ。
そして今回紹介する内山高志も凄く好きなボクサーだ。
コラレスに負けた後は引退するんじゃないのかと心配したが、現役続行するということで嬉しさのあまり紹介記事を書くことにした。
内山高志とは

内山高志といえば日本を代表する名ボクサーだが、一般的な知名度はさほど高くない。
スポーツに興味がない人にとっては名前すら聞いたことが無いかも知れない。
メディア出演はさほど多くなく、テレビ中継も井岡一翔のようにTBSで全国中継はされず、テレビ東京で放映されているので関東圏でないとなかなか試合を見ることができないからだ。
関東では大晦日に毎年放送しているだけあって、名前くらいなら知っている人もいるはずだが、関東以外ではあまり知られていない。
しかし試合は決して面白くないわけではない。
むしろ猛烈に面白い。
なにせこれまでのプロキャリア26戦24勝のうちKO勝利が20と、非常にKO率の高い稀代のハードパンチャーだからだ。
内山ほど切れ味と重さを両方兼ね備えたパンチは、世界広しといえども中々お目にかかることはできない。
そして個人的に内山に感じる魅力は、良い意味で格闘家らしくないところで、常にシェイプアップされた体や、スポーツに対する取り組み方、その発言はまさにトップアスリートそのもので、他競技からも注目されるべき存在だと考えている。
そんな内山も既に37歳を迎え、今年4月には6年間守った世界タイトルも失ってしまった。
もしかしたら現役生活も長くないかもしれないが、そんな時だからこそ内山をもっと知ってほしいと思う。
生年月日 | 1979年11月10日(37歳) |
身長 | 172cm |
体重 | 59kg(試合時) |
階級 | スーパーフェザー級 |
戦績 | 26戦24勝20KO |
ニックネーム | KOダイナマイト |
ゴトー’s Eye
ハードパンチが売りの日本屈指の実力派ボクサー。
無骨な人間なのでそれほど分かりやすいキャラクターではなく、また試合が全国中継されていないので知名度は高くない。
実力 | ★★★★★ |
パンチ力 | ★★★★★ |
求心力 | ★★★★☆ |
スター性 | ★★★☆☆ |
知名度 | ★★☆☆☆ |
内山のボクシングキャリア
アマチュア時代

内山はアマチュアでの実績も豊富だが、井岡や井上のような典型的なエリートボクサーではない。
ボクシングの強豪校である花咲徳栄高校に入学し、そこからボクシングを始めている。
かといってここでは全国優勝の経験はなく、最高順位は国体準優勝となっている。
その実績を買われて拓殖大学に推薦入学しているが、強豪である拓殖大学には内山クラスの選手はゴロゴロ存在したこともあって、当初は補欠にすら選ばれず、同級生の荷物運びを行う毎日だったとか。
並の選手ならここで腐ってしまうかもしれないが、内山はそんな現状に満足せず、寮生活で皆が寝静まってからも一人で練習し続けるストイックない生活を送っていたらしい。
なんかこの辺はいかにも少年漫画の主人公の回想エピソードみたいでカッコいい。
そして才能は4年時に花開き、国体で準優勝、全日本選手権では見事優勝した。
その後は社会人としてアマチュアボクシングを続け、全日本選手権3連覇など国内では無敵の強さを誇ったが、目標だったオリンピック出場は叶わず、2004年にボクシングを引退することを決意する。
ちなみにアマチュアボクシングでは日本最強でもオリンピックに出場できるわけではなく、出場枠というのを確保しないといけない。
まあ要はオリンピック出るのは凄く難しいということだ。
プロ転向から世界王座獲得

引退した後はK-1が見境いなくオファーをしてきたり、プロからも誘いがあったが一旦断り一般人として生活していた。
だが、なんだかんだ普通の生活をしてると物足りなくなってやっぱボクシングで世界目指すか、という感じでプロに転向している。
この辺の経緯とかもちょっと少年漫画の主人公っぽい。
既にアマチュアでは最強レベルだったから、プロでもどんどん勝っていく。
トントン拍子でステップアップしていって、東洋太平洋王者(はじめの一歩でいう宮田くんの立ち位置)を獲得して、5度の防衛をして、世界戦に挑戦する。
この頃には既にハードパンチャーとして有名で、まあ世界タイトルも普通に獲るっしょみたいな空気だった。
そんで2010年の世界戦では普通に大差で勝ちそうだったが、KOに拘った結果、12RにKO勝利を収めて世界王者になっている。
その後はやたらリーチは長いけど細い外国人と連戦して二人ともKOしている。
特に2度目の防衛戦のKOは衝撃的で、あまりのハードパンチで相手の頬骨を骨折させてしまった。
これまでもハードパンチャーと呼ばれてきた選手は多くいたが、内山のハードパンチは規格外だ。
何でもゲームセンターのパンチングマシーンで700kgというヘビー級ボクサーでも出せないような記録を出したと本人が話している。
その後もKO防衛を重ねていき、なんと負傷判定を除くと6連続KO防衛という偉業を達成している。
防衛回数は11度となり、具志堅用高の持つ13連続防衛記録を塗り替えるのも時間の問題だと思われていた…!!(フラグ)
まさかの王座陥落

内山はもう日本では敵がいないし、日本だけで試合をしても世界的な評価は一向に上がらないから、もう海外挑戦させてくれと志願していた。
しかしそれは叶わず国内の試合となり、用意された相手はジェスレル・コラレスという選手だった。
この選手は「透明人間」というニックネームを持った不気味な男なのだが、過去の戦績を見る限り内山の敵ではないと思われていた。
しかし、ここで内山は海外挑戦が叶わずに選ばれた相手だということで、記者会見で「正直、モチベーションが下がった」という発言をしてしまう。
これまで高いプロ意識を持って節制に励んできた内山からはあまり考えられない発言で、まあそれだけの事情があったのだが、一瞬の油断が命取りとなる世界では危うい発言だ。
終わってみればフラグが立っていた発言で、実際にこの試合はコラレスに2Rに3度のダウンを奪われてKO負けを喫してしまう。
透明人間だけに予測不可能な攻撃が内山にヒットしてしまい、立て直そうとした矢先にまたも透明パンチを貰ってKOされてしまった。
今まで築き上げてきた防衛記録も、海外挑戦の夢も崩れてしまう残酷な試合だった。
パウンドフォーパウンドにランク入り

内山は過去の歴代のボクサーの中でも指折りに海外での評価が高いボクサーだ。
もっとも世界的に知られているわけではなく、物好きなボクシングマニアがYouTubeで内山の試合を見つけ、それを見て「この選手やたら強くないか?」というくらいものだ。
知る人ぞ知るアジアの強いボクサーという扱いで、一方で評価する人はしっかり評価していた。
上の画像は、アメリカの権威あるボクシング雑誌が認定する「パウンド・フォー・パウンド」というランキングのスクリーンショットだ。
これは何を意味しているのかというと、内山は2015年7月時点のパウンド・フォー・パウンドで10位にランキング入りしていたのだ。
パウンド・フォー・パウンドとは端的に言うと、ボクシングって階球ありすぎて誰が強いのか全く分からないけど、もしも階級無かったら誰が一番強いの?という疑問から生まれたランキングだ。
言ってしまえば世界のボクサーの強さランキングみたいなもので、その中で内山は日本人としては異例の評価を受けていることがわかる。
パウンド・フォー・パウンドにランク入りした日本人ボクサーは歴代で内山の他には山中慎介と、井上尚弥しかいない。
全員現役選手で、なぜ唐突に評価されたのかというと、最近はYouTubeで動画が出回るから日本のテレビ放送がボクシングマニアからチェックされているというのが主な理由らしい。
穿った見方をすればYouTube以前の日本人の試合は海外から全く見られていなかったし、今でもわざわざ日本の試合をチェックするくらいの物好きしか見ていないということでもある。
海外挑戦を熱望するも実現せず
以上のような背景があってか、内山は度々海外進出を志願してきた。
海外進出というのはボクシングの本場アメリカで、日本には来てくれないような本当にトップの外国人選手と戦うことだ。
もっとも本当のモチベーションは内山自身にしかわからないし、ただ強い相手と戦いたかっただけかもしれない。
今では以前ほど世界は遠くないとされており、2011年には西岡利晃という選手がラスベガスのボクシング興行で日本人としては初めてメインイベントで戦っている。

ちなみにこの時のファイトマネーは約100万ドル(≒1億円)と言われており、日本とアメリカとでは得られる金も名声も桁違いだ。
そして内山はそれを得られるだけの資格を持った数少ないボクサーだったのは間違いない。
だが結局それは最後まで叶わなかった。
理由は諸説あるが、内山は強い割にアメリカでは無名だからアメリカのテレビ局にとっては都合の悪い選手だったとか、所属ジムの会長がテレビ局の日程に配慮したとか、ジムの政治力がなくて海外の選手に足元を見られたとか色々と言われているが真相は定かではない。
そうしている内に年齢も30代後半となり、先程紹介したように、12度目の防衛戦で敗れてしまったことで、海外挑戦は夢のまた夢になってしまう。
コラレスとのリベンジマッチにも敗北

コラレスに敗れた後は、長年の海外挑戦の夢も潰えたことで、引退も噂されたが、ジムワークに復帰した所、肉体的な衰えがなかったことを理由に現役続行を表明。
そして再起戦は2016年大晦日に、因縁のコラレスとのリベンジになることが決定した。
1度目の対戦では実力が発揮できないまま、コラレスのパンチを貰ってKOされてしまったが、実力さえ発揮できれば十分に勝てる相手だと言われていた。
しかし2度目の対戦も始まってみると、コラレスの常人離れしたスピードと、上体を激しく動かすダイナミックなディフェンスの前に内山は空転させられ、コラレスのパンチを何度もクリーンヒットしてしまう。
5回にスリップ気味のダウンを取るも、序盤から中盤はコラレスのスピードの前にポイントを奪われ続ける展開に。
終盤は強烈なボディーブローが入って勝機を見出すも、徹底したクリンチで逃げ切り体制に入ったコラレスを捕まえられず試合終了。
積極性を評価したジャッジ1名が内山を支持するも、他2者はコラレスを支持して、1-2の判定負けで、リベンジはならなかった。
試合後には会見に姿を表さず、所属ジムの会長に「いまはゆっくり休みます」とだけ話し、進退は明言されていない。少なくとも長期休養に入ることは濃厚だ。
内山高志のファイトスタイル

パンチ力だけでなく全てがハイレベル
内山高志と言えば「ノックアウトダイナマイト」という異名がつくほどKO率が高く、日本人離れしたハードパンチが武器だ。
これだけ見るとパンチ力は凄い一芸選手みたいに思われるかもしれないが、そんなことはない。
むしろ全ての能力が満遍なく高いボクサーで、仮にパンチ力が並だったとしても際立ったボクサーだったはずだ。
闘争的な格闘技のイメージと違い、常にリラックスしていて、ジャブを中心に試合を組み立てていく。
そのジャブもしなやかに伸びるので、相手のガードを縫って的確にヒットする。
右の拳を怪我した時には、左手一本だけで世界戦に勝利するくらいに左の精度が高い。
またジャブだけでなく左のボディーブローも強烈で、それ単体でKOを奪えるし、下に意識を持っていかせたところに、すかさず顔面に強烈なパンチを叩き込むこともある。
離れてはジャブとストレート、近づいては強烈な右フックが飛んでくるので、相手からすればどの距離にいてもペースを握られてしまい、やりにくいことこの上ないだろう。
弱点はディフェンス
全般的に能力の高い内山にも弱点はあり、それはディフェンスだ。
さほどブロッキングに頼らず、ステップやパーリングで相手の攻撃をかわしていくスタイルで、脱力したファイトスタイルとは相性が良く、普段は滅多にクリーンヒットを貰うことがない。
しかしガードを下げることが多いので、予期しない突発的な攻撃に対して弱く、そして内山自身も打たれ強くないので、危ない場面を作ることがある。
2013年の金子大樹との試合は内山が一方的に有利に進めていたが、10Rに大振りの右フックをもらってダウンするなど、絶体絶命のピンチに追い込まれた。
コラレスに敗れた1度目の試合もちょうどそのような感じで、予期しない攻撃を貰いやすく、一度貰うと簡単にダウンしてしまう危うさが内山の弱点だろう。
それとキャリアの中であまり窮地に立たされたことがないからか、ダウンをしてからのリカバリーがあまり上手くないように見える。
1度目のコラレス戦は2R2分59秒でKO負けしているのだが、上手く戦えばラウンド終了まで粘れただろうし、インターバル中に回復して、その後挽回することも可能だったかもしれない。
強さゆえの経験不足ではあるが、コラレス戦でそれが露呈した形になってしまった。
まとめ
内山はプロデビューが25歳と遅まきながら、世界王座を11度も防衛しており、海外からの評価も含めて、2000年代~2010年代を代表する名ボクサーの一人であるのは間違いない。
一方で海外進出に頓挫したことや、テレビ東京での放送に留まったことから全国的な知名度はさほど高くないので、プロモーションで割りを食ってきた面もある。
残すは具志堅用高の持つ防衛記録の更新に期待がかかっていたが、それもコラレスに敗れたことで潰えてしまい、唯一モチベーションを喚起するコラレスとのリベンジマッチにも敗れたことで、もはや内山にとって明確な目標を見出すのが難しくなっている。
今のところ長期休養に入ることが決まっているが、状況からするに現役を続ける可能性は低いかもしれない。
たった1度の負けで積み上げてきたものが全て失われる厳しい世界だと痛感させられると共に、そんな世界で6年に渡って11度の防衛を達成してきた内山に改めて敬意を表したい。
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