2016年のワールドシリーズはシカゴ・カブスが優勝しました。
カブスのワールドシリーズ進出、そして優勝はシカゴ市民にとって最大の関心事の一つでした。それはカブスにまつわる、あるジンクスが関わっています。
1871年に創設された名門球団は実に108年に渡ってワールドシリーズ優勝から遠ざかっていました。そのカブスの歴史をジンクスと共に紹介していきます。
シカゴ・カブスとは

さてシカゴ・カブスという球団名は耳にしたことがある方が多いと思いますが、皆さんはカブスの歴史についてご存知でしょうか。
カブスはメジャー30球団の中でも最も歴史が古く、1871年に創設された球団で、日本人選手も多く在籍したことから球団名は多くの方が知るものとなっています。
このシカゴ・カブスの歴史はなかなかユニークなものがあるので紹介していきます。
カブスは平均観客動員数は約4万人を誇るメジャー屈指の人気球団で、ナショナルリーグに所属しています。メジャーにはセ・リーグとパ・リーグのようにア・リーグとナ・リーグに分かれていて、カブスの所属するナ・リーグはDHがないルールを採用しています。
メジャーリーグ黎明期には、ナ・リーグで猛威を奮い、第二次世界大戦が終わる1945年までに16度の優勝、ワールドシリーズ優勝を2度誇る強豪でした。
しかし1945年にヤギの呪いこと、「ビリー・ゴートの呪い」をキッカケに、実に2016年まで71年に渡ってリーグ優勝から遠ざかり、ワールドシリーズ優勝に至っては108年にも及びます。
カブスは何かとジンクスのある球団で、2003年にはリーグ優勝を目前にして起きた「スティーブ・バートマン事件」も印象的です。この2つの事件を中心に、カブスの歴史を見ていきましょう。
ビリー・ゴートの呪い

ビリー・ゴートの呪いは、通称「ヤギの呪い」とも呼ばれ、球場にヤギを入場させなかったことがキッカケとなってカブスが長年勝てなくなったと言われるジンクスのことです。
事の発端は1945年のワールドシリーズのこと。ワールドシリーズとはプロ野球で言う日本シリーズのことで、アメリカンリーグとナショナルリーグの王者が対戦する試合です。カブスは1945年のアメリカンリーグを優勝し、ワールドシリーズを3戦して2勝1敗と有利に試合を進めていました。
そして第4戦にビリー・ゴートの呪いは起きます。
ビリー・ゴートの呪いの主役となったのは、シカゴにとある居酒屋を開いていた、ビリー・サイアニスという人物です。ビリーはギリシャからアメリカに移住し、シカゴに定住して以来、大のカブスファンでした。そして1934年のある日に、店の通りを走っていたトラックから1頭の赤ちゃんヤギが落ちて、ビリーがそれを介抱し、「マーフィー」と名付けます。
ヤギは英語でGoat、すなわちゴートと読みますが、ビリー・ゴートの「ゴート」はこのヤギのことです。ビリーは居酒屋の名前もゴートにちなんだ「ビリー・ゴート・タヴァーン」とするなど、店の看板として至るところにヤギのマーフィーを連れて行きます。
そして話はワールドシリーズ第4戦に戻り、この試合をいつものように応援しようと球場に向かったビリーとマーフィーですが、入場を拒否させられてしまいます。ヤギの悪臭が理由とのことですが、これに激怒したビリーは「カブスはヤギの入場を許可するまでワールドシリーズを優勝することはない」と言い、球場を後にします。
カブスはこれ以降、負けが先行し第7戦に敗れたことでワールドシリーズを逃します。その時にビリーが「カブスはこれ以降ワールドシリーズに進出することはないだろう」「そのような呪いをかけた」との電報を球場に送っています。
奇しくもこの年のワールドシリーズを最後に、カブスはリーグ優勝から遠ざかり、その呪いが解けたのは実に71年後の2016年となっています。
その後の低迷と復活
ビリー・ゴートの呪い以降、カブスは長年の低迷を続けます。ようやく復活の兆しが出てきたのは30年以上が経過した1980年代以降のことです。
メジャーリーグは1969年から「地区制」を導入しています。これはアメリカンリーグ、ナショナルリーグそれぞれに地区を割り振り、その地区の中で優勝を争う仕組みのことです。当初は東西地区の2つだけでしたが、1994年から中地区も加わり、現在に至ります。
カブスは長い暗黒時代を経て、戦力を整えたことで、1980年代には2度の地区優勝を果たしています。
しかしどちらもリーグチャンピオンシップで敗れ、ついにリーグ優勝をすることはありませんでした。
1990年台の名選手としてはサミー・ソーサがおり、マグワイアと共にホームランを異例のペースで重ねたことが全米のみならず、日本でも話題となりました。この時にもやや持ち直したものの地区優勝には至らず、プレーオフ進出が精一杯でした。
スティーブ・バートマン事件

そして2003年に、社会を賑わせた「スティーブ・バートマン事件」が起こります。これはカブスにとっては悲劇であると同時にメディアによる人権侵害事件でもあります。
この事件が起きたのは2003年のワールドシリーズ第6戦のこと。カブスは58年ぶりのワールドシリーズ進出にリーチがかかった3勝2敗としていました。
試合は8回表1アウトで、スコアはカブスが3-2でリードしており、あとアウト5つ取れば良いという状況でした。
この状況でバッターの打球はレフトスタンドに入るか入らないかギリギリの所に飛び、レフトはジャンピングキャッチを試みたのですが、その時レフトスタンドにいた観客が手を出してしまったことで捕球することができませんでした。このプレーの直後にカブスは守備が崩壊し、一挙8失点となり、大逆転負けを喫しています。
続く第7戦にも敗れたことで、カブスのワールドシリーズ進出の夢はまたも潰えてしまったのです。
そして第6戦でスタンドから手を出してしまった人こそ「スティーブ・バートマン」で、ワールドシリーズ進出が懸かったあの場面は視聴率が40%近くにも達しており、多くのカブスファンを怒らせたバートマンはたちまち本名を特定されてしまいます。試合直後にはファンから襲撃されたり、後に命まで狙われたことで自宅の前には常に6人もの警官が警備に当たったそうです。
この事件の酷いところはこれだけではなく、メディアがバートマン一人を悪者に仕立て上げたことです。実際にバートマンが手を出さなくても捕球できたか分からないにも関わらず、テレビ番組ではバートマンが悪いかのような報道がなされ、地元紙に至ってはバートマンの自宅と職業を掲載しています。
挙句の果てに政治家すらバートマンへの批難を公言するほどの有様で、最終的にメディアによる人権侵害も問題視されました。
スティーブ・バートマン事件は後味の悪さだけを残すことになりましたが、シカゴ市民がそれだけカブスのワールドシリーズ優勝を願っている事の裏返しでもあります。
悲願のワールドシリーズ優勝

2016年のカブスはいつになく順調でした。シーズンの成績は162戦して103勝58敗でナショナルリーグ1位。これはアメリカンリーグ合わせても最高の勝率となっています。
カブスのこの年の飛躍は投手陣の充実にあり、防御率3.15は両リーグ合わせてもダントツの1位です。
特にカイル・ヘンドリックス、ジェイク・アリエータ、ジョン・レスターの先発3枚柱で、53勝を上げており、全員がサイヤング賞候補に選ばれています。
ワールドシリーズの相手はアメリカンリーグを制したインディアンズでした。
このシリーズは当初、インディアンズが優勢で勧めます。第1戦、第3戦、第4戦を勝利して早くもリーチをかけますが、そこからカブスの逆襲が始まります。
第5戦のレスターが、第6戦をアリエータの両先発で勝利すると、最終第7戦は延長線までもつれる白熱した展開の末にカブスが悲願のワールドシリーズ優勝を決めています。
カブスはついに61年ぶりに「ビリー・ゴートの呪い」を打ち破りリーグ優勝を成し遂げただけではなく、108年ぶりのワールドシリーズ制覇を達成。
カブスの選手もシカゴ市民も勝利の美酒をようやく味わうことができました。
2016年の代表選手
ワールドシリーズを制覇した2016年の代表選手を紹介します。
カイル・ヘンドリックス

2014年の7月にメジャー昇格したばかりの投手です。
2015年には完全に先発ローテーションの一角として定着すると、2016年に大ブレーク。
シーズン成績は16勝8敗、防御率2.13で、最優秀防御率を獲得し、サイヤング賞投票でも3位に選ばれています。
ちなみにダートマス大学という優秀な大学を卒業していて、高偏差値投手と評されることも。
アロルディス・チャップマン

人類最速169キロ投手として日本でも知名度の高い投手です。
メディアでは非公式の171キロが取り上げられることもあります。
2016年7月にヤンキースからトレードで移籍してくると、28試合に登板し、防御率1.01と素晴らしい成績を残しています。
ワールドシリーズでも5試合に登板し、優勝を決めた第7戦の勝ち投手にもなりました。
オフにFAとなったことでヤンキースへ移籍し、5年8600万ドルの契約をかわしています。
クリス・ブライアント

カブスは投手陣が充実しているものの、さほど打線が強いという印象はありません。
それでもクリス・ブライアントは新世代の強打者として非常に注目されている選手です。
2013年に全米ドラフトで1巡目、全体2位でカブスに指名されると、2015年からメジャーデビュー。その年には打率.275、26本塁打、99打点と素晴らしい活躍をして、新人王に輝いています。
さらに今年は打率.292、39本塁打、102打点と主要三部門で成績を伸ばし、ナ・リーグMVPにも選ばれました。
若干24才で、今後メジャーを代表するバッターになることが期待されています。
日本人選手も多く所属
これまでカブスは日本人選手が多く所属してきました。
日本人選手のカブスでの経歴を紹介します。
福留孝介

2度の首位打者を獲得するなど日本屈指の強打者として名を馳せていた福留は2007年のオフに海外FAによってカブスに移籍しています。
4年総額4800万ドル(約53億円)という、現在からすればかなりの大型契約です。
しかし高い期待とは裏腹にさほど良い結果は残せず、2011年シーズン中にインディアンズにトレードされています。
この頃はまだ日本人野手の評価が高かったので期待外れになってしまいましたが、評価が落ち着いた現在からみればさほど悪い成績ではありませんでした。
高津臣吾

日本で球界を代表する抑えとして君臨し、2004年のメジャー初年度は一定の成績を残したものの、それ以降は低迷し、日本球界に復帰。しかしそこでも成績は低迷し、キャリア末期にカブスとマイナー契約を結んでいます。
とうにピークを過ぎていたこともあり、オープン戦で打ち込まれ、わずか2ヶ月で自由契約になっています。
田口壮

カージナルスでは代打の切り札として活躍した田口ですが、カブスでは全盛期を過ぎた39歳時点でマイナー契約を結びました。
9月に40歳2ヶ月で当時日本人最年長でメジャー昇格を果たしましたが、6試合に出場したのみで自由契約となっています。
門倉健

巨人から自由契約となった門倉はカブスのトライアウトに合格し、マイナー契約を勝ち取ります。
オープン戦では好投を続けたもののメジャー昇格を勝ち取ることはできず、2ヶ月半で自由契約となってしまいました。
高橋尚成

メッツでは2桁勝利を達成した高橋ですが、エンゼルス・パイレーツでは共に結果を残せず2012年末にカブスとマイナー契約を結んでいます。
シーズンでは開幕から3試合の登板機会を与えられますが、3回2失点と結果を残せず、6月にはロッキーズに移籍しています。
藤川球児

藤川と言えば2000年代を代表するクローザーで、2012年オフにカブスと2年総額950万ドル(約11億円)+出来高という内容で契約しています。
現役最後までアメリカで挑戦する意気込みでしたが、開幕から間もない4月13日に右前腕部の張りを訴え離脱、さらに翌月にも同じ症状を訴えると、トミー・ジョン手術を受けることになります。
翌年に復帰したものの、満足に投球することができずオフにレンジャーズに移籍しています。
川崎宗則

全米でも人気の高い川崎宗則は2016年1月にカブスとマイナー契約を交わしています。
マイナーでは多くの出場機会を与えられたものの、さほど良い打撃成績は残せませんでした。
しかし昇格期限最終日となる9月6日にメジャー昇格を果たし、ポストシーズンでは選手登録はされなかったもののムードメーカーとしてチームに帯同しています。
そして11月3日にFAとなり、所属先を模索している段階です。
上原浩治

2013年のワールドシリーズ優勝に大きく貢献するなど、レッドソックスでは4年に渡りプレーしてきました。2016年はこれまでになく不調に悩まされてきましたが、後半戦からは別人のように蘇り、11試合に登板して無失点。地区シリーズでも2試合に登板して無失点を記録しましたが、再契約に至らずFAとなっています。
そして12月9日にカブスと契約が合意し、入団が決定。2017年からプレーすることになります。
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