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長谷川穂積が現役引退!世界王者獲得から11年。栄光と挫折のキャリアとは。

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WBC世界スーパーバンタム級王者の長谷川穂積が、12月9日に会見を開き、現役引退を発表しました。

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「負ければ引退」という決死の覚悟で臨んだ9月16日の試合。強打が売りの2階級制覇を達成したウーゴ・ルイスの猛攻に耐え、火の出るような打ち合いを制して、世界王者のベルトを手にしました。

この試合に勝利して世界王者となったことで、もうしばらく長谷川穂積の試合が見られるかと思った矢先の引退発表でした。

9月16日の試合を最後に引退することを決めました。2日後の総会に出席してそこでベルトを返上したいと思います。理由としてはこれ以上、証明することがなくなった。戦う理由も無くなって、前回以上の気持ちをつくるの難しくなった。

試合は終わって、11月中旬にはっきり答えが出た。ボロボロになってやるのも一つだけど、僕はチャンピオンのまま引退したかった。このタイミングで引退を決意した

長谷川穂積が引退会見で語った気持ち「チャンピオンのまま引退したかった」

2005年にウィラポンを破ってバンタム級の世界王者に輝いてからは、無類の強さで10度の防衛に成功。2000年代で最高のボクサーと称されています。
しかし2010年にフェルナンド・モンティエルとの世界統一戦に敗れてからは歯車が狂い始め、世界戦では苦杯を舐めることが多くなりました。

引退をかけた試合での感動的な逆転劇まで含め、長谷川穂積のボクシングキャリアを紹介します。

世界王者獲得まで

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長谷川穂積の父親、大二郎は元プロボクサーでしたが23歳の時に心臓が悪く引退を余儀なくされています。

長谷川は小学校2年生の時から、その父親からボクシングを教わるようになりましたが、父親の厳しさに反発する形でボクシングをやめて、中学校の時には卓球部に所属しています。卓球部では市大会で優勝するほどの実力だったそうです。

高校時代には現在の妻である泰子さんと出会い、泰子さんと同棲する状況を作りだすために、意図的に高校で赤点を取ることで留年し、2年時に中退しています。
この後にボクシングジムに入門するのですが、これは父親から高校をやめて同棲する条件としてボクシングを始めなさい、という教えによって始めています。

華やかなイメージのある長谷川穂積の当初のキャリアですが、実はあまり練習に熱心ではなく、実力も際立ったものではありませんでした。そのため、プロデビューから5戦目までに4回戦で2度敗戦を喫しています。

しかし、ここからは連勝街道を突き進むこととなり、以降世界王者となり10度の防衛を果たすまで一つの負けもありません。

特筆すべきはプロ12戦目に日本ランキング4位だった熟山竜一を下したこと、そして14戦目に日本人キラーとして名を馳せていたフィリピンのジェス・マーカを僅差の判定で下したことでしょう。ジェス・マーカとの試合は東洋太平洋のタイトルマッチで、この試合に勝利して初めてのタイトルとなる東洋太平洋王者となっています。

その後、3度の東洋太平洋タイトルの防衛を果たし、2005年にはウィラポンの持つ世界タイトルに挑戦。ウィラポンは1998年に辰吉丈一郎からタイトルを奪って以来、14度の防衛に成功したスーパー王者です。
長谷川不利が囁かれる中、ウィラポンを相手にスピードと手数で有利に試合を進めて判定勝利を収め、見事世界タイトルを獲得しました。

ちなみにこの試合では長谷川に巻かれるべきベルトがなく、また辰吉がリングに上ってウィラポンを讃えるように腕を上げてリングを一周するという一幕もありました。

日本人史上2人目の10度の防衛に成功

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これ以降、長谷川は日本を代表するボクサーとして次々と挑戦者を退けていきます。

中でも印象的なのは、やはりウィラポンとの再戦となった2度目の防衛戦です。この試合は初めての対戦から約1年後に行われていますが、ウィラポンは長谷川に敗れてからハイペースに試合をこなし5戦5勝で最強の挑戦者として対峙することになりました。

長谷川は1年前の試合よりも遥かにレベルアップしており、次々と有効打を当ててダウン寸前まで追い込むと、9R開始早々にウィラポンが右ストレートを打ったところに返しの右フックをカウンターで当てて完全KO。この試合で長谷川は盤石の王者であることを証明し、また余りにも鮮やかなKOだったことから年間最高試合にも選ばれています。

その後、長谷川はアメリカ進出を一つの目標として防衛を重ねていきますが、タイミングの問題もあり遂には叶いませんでした。
それでも6度目の防衛以降は、2R・2R・1R・1R・4Rと5度に渡るタイトルマッチを全て早期にKOしたことで、長谷川穂積は日本ボクシング史に間違いなく名を残すボクサーとなっています。

フェルナンド・モンティエルに敗北、フェザー級への転向

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長谷川のキャリアにとって転機となったのはは11度目の防衛戦である、フェルナンド・モンティエルとの試合でしょう。モンティエルは軽量級の選手としては世界的に知られており、スピードと左フックの威力は随一の選手です。

本来ならばとても日本に呼ぶことのできないボクサーですが、さらなる飛躍を求めた長谷川陣営がモンティエルに5000万とも言われる高額なファイトマネーを支払うことで対戦にこぎつけています。
長谷川が持つWBCのタイトルと、モンティエルが持つWBOのタイトルをかけた統一戦は日本で行われる大会としては稀に見ぬ緊張感に満ちた試合となりました。

長谷川は序盤から出入りの速さを活かしてモンティエルの出鼻を挫くことで、試合を有利に進めますが、4R終了直前にモンティエルが得意とする左フックを貰い、追撃を喰らった所でキャリア初のKO負けを喫しています。

アメリカ進出も防衛記録も途絶えてしまいましたが、さらに再起戦を1ヶ月後に控えた2010年10月には大腸がんの闘病生活を送っていた母親が死去。

絶望にさらされる中、長谷川の再起戦は一気に2つの階級を上げたフェザー級のタイトルマッチでした。
これまで出入りの速さと、タイミングの良いカウンターで相手に触れさせない華麗なボクシング得意としてきた長谷川ですが、この試合は打って変わって打ち合いを自ら望む好戦的なスタイルとなっていました。

体格で勝る対戦相手のパンチにヒヤリとさせられる場面があったものの、最後は技術よりも気迫で押し切り判定勝利で飛び級での世界王座を獲得。
母親の死を乗り越えたこの試合は、長谷川のキャリアの中でも最も感傷的なものとなっています。

世界戦での苦戦

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フェザー級タイトルの初防衛戦は、母国メキシコで絶大な人気を誇るジョニー・ゴンサレス。
この試合も長谷川は前戦同様に売り合いを積極的に挑み、有効打をお互いに当てる白熱した試合に。しかし一発の威力で勝るゴンサレスのパンチを貰って4RKO負けを喫します。

決して動きが衰えているわけでもないものの、かつての華やかな戦いは鳴りを潜め、あまり得意ではない打ち合いに固執するようになってきたことで、長谷川の異変を指摘する声が大きくなりました。

また、この頃から試合の度に進退を表明するようになり、現役生活が残り短いものであることは誰の目にも明らかでした。
それでも長谷川は現役を続行し、一つ下の階級であるスーパーバンタム級での世界王者を目指します。

2014年にはIBF世界スーパーバンタム級王者のキコ・ロペスの持つタイトルに挑みましたが、重戦車のごときロペスの圧力に何度も屈しては、ダウンを奪われ、7RにTKO負けを喫します。ボクシングを半ば強制的に始めさせた父親ですら引退を勧告するほど長谷川の時代が終焉したことを象徴する試合となりました。

そして2度の再起戦を経て、負けたら引退という覚悟を決め、結果的にも最後の試合となったウーゴ・ルイスとのタイトルマッチに臨みます。

悲願の3階級制覇達成

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ウーゴ・ルイスはスーパーバンタム級としては体格が大きく、打ち合いを得意とする好戦的なスタイルの選手です。

長谷川はそのルイスを相手に全盛期のような出入りの速さを活かして、ルイスの強打を上手く交わし有効打を巧みにヒットさせることで、8R終了時点ではジャッジ2者が長谷川有利とする採点となっていました。そして9Rにルイスが勝負をかけ、左アッパーをヒットさせて長谷川をグラつかせ、一気にラッシュを仕掛けて試合を決めようとします。

モンティエル戦の悪夢が蘇るような展開でしたが、ここで長谷川は慌てずルイスの動きを見ながら的確にカウンターをヒットさせていくと、ルイスの顔がみるみる出血で赤く染まり、ついには打ち合いに臨んだルイスの方から後退します。このラッシュで鼻を右目を痛めたルイスは、9R終了時点でこれ以上戦えないと判断し棄権。

これにより長谷川は6年ぶりの王者になると同時に、悲願の3階級制覇を成し遂げました。さらに35才9ヶ月での王座獲得は日本最年長記録となっています。

長谷川穂積のファイトスタイル

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長谷川穂積はサウスポースタイルから、出入りとパンチのスピードを活かしたファイトスタイルをベースとしていました。

決して体格的には恵まれていないものの、メリハリの効いた出入りによって、全盛期には外国人選手を相手にしても、有効打をほとんど貰わず、長谷川の上下に散らした攻撃だけが面白いようにヒットしていました。キャリアの中で最も充実していた時期にはカウンターのパンチが冴えており、予測できない攻撃を貰った対戦相手はたちまちダウンしてしまいます。

一方でフェルナンド・モンティエルに敗れてからは、自ら積極的に打ち合いに誘う展開が多くなりました。このファイトスタイルは見る者の心を打ちますが、長谷川にとっては分の悪い勝負となってしまい、ジョニー・ゴンサレスにはKO負けを喫しています。

しかしキャリア最後の試合となったウーゴ・ルイス戦はかつての足を使った華麗なボクシングを取り戻し、それに加えて打ち合いになっても相手の攻撃に合わせてカウンターを返すことで、隙のないボクシングを展開しました。

キャリアの浮き沈みと共に、そのファイトスタイルも変わっていったのも長谷川の魅力の一つかもしれません。

現役引退

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そして12月9日(金)に前戦以上のモチベーションがないこと、また王者のまま引退したいという意思により現役引退を決めています。
間もなく36歳の誕生日を迎える、35歳での引退となりました。

世界王者のまま引退するのは、現役中に交通事故で亡くなった大場政夫、9度の防衛を果たした徳山昌守以来、3人目のこと。
通算戦績は40戦35勝 (15KO) 5敗となっています。

第二の人生は?

アスリートといえばセカンドキャリアがプロ生活よりも難しいものです。
余りにも刺激的だったアスリート生活とは打って変わって、一般の生活をしてもそれに満足できないともよく言われます。

長谷川穂積は今後について明確な方針はないそうですが、今後は指導者や実業家としての道を模索していくそうです。
実は長谷川は現役中から神戸市内にタイ料理店を出店するなど、既に経営者としての一面もあります。

ボクシングは人生のすべて。これからも何かできることをしていきたい。長谷川穂積はいつまでも長谷川穂積なので。また、新しいステージでチャンピオンになれるように頑張りたい。

長谷川穂積は第二の人生に向けても目を輝かせています。