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競技スポーツはなぜ楽しいのか。レクリエーションとの違いを考えてみた。

雑記
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どうも、ゴトーだ。

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俺は三度の飯よりスポーツが好きでな。
最初はゲームをメインに書こうと思っていたらいつの間にかスポーツのネタばかりになってしまった。

ところでこのブログはSEO記事ばかりなので、ちょっとこいつ露骨すぎねえか…という白い目で見られてるような気がするので初めて雑記を書いてみることにした。
テーマは表題の通りだ。

競技スポーツかレクリエーションスポーツか

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まずスポーツを大きく2つに分類すると「競技スポーツ」と「レクリエーションスポーツ」に分けられる。

競技スポーツは部活動や実業団、プロスポーツのようにヒエラルキーのある世界においてより上位を目指すものだ。
いわゆるガチ勢とも言われている。

レクリエーションスポーツとはそれ以外のもの。健康増進だったり、コミュニケーションだったり、体を動かす事自体を楽しむためのものだ
ガチ勢と比較してエンジョイ勢とも言われている。

さて、このガチ勢とエンジョイ勢にはベルリンの壁のごとく断絶された価値観がある。
まあ中にはどっちも分かるよ!という心の広い人もいるが、なかなか分かり合えないのが現実だ。

偏見かもしれないが、はてなブログ界隈だと競技スポーツに馴染みのない人が多い気がする。
もしかしたら「プロでもないのに真剣にやっちゃって何が楽しいの?」と思う人もいるかもしれない。

そんな人に向けて競技スポーツに取り組む楽しさを、精神論ではなく真面目に解説してみたい。

ちなみにゴトーは何者だよと思われるかもしれないが、以前はちょっと情報をオープンにしていたものの、今はただのゾルディック家の執事という設定でよろしく頼む。

スポーツのどこに幸福を感じるのか

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これはスポーツは万能だ!人生に絶対必要なものだ!みたいな崇め方をするわけではない。
表題にある通り、楽しさという点から競技スポーツのほうが面白いんじゃね?ということを話していく。

ここでは「内在的な幸福」と「外在的な幸福」という二点から説明していくが、まあツッコミどころとしては「楽しさと幸福って違うんじゃない?」というものが想定される。
それに関しては自分もよく分かっているが、所詮ただの雑記ブログだからそれは目を瞑って欲しい。

というかブログのタイトルが「競技スポーツはなぜ幸福なのか?」ってなってたら怪しさ満点なので「楽しさ」にしたという節はある。

内在的な幸福

スポーツとは少し離れて、舞台や物語には「カタルシス」という言葉がある。

カタルシスとは『舞台の上の出来事(特に悲劇)を見ることによってひきおこされる情緒の経験が、日ごろ心の中に鬱積(うっせき)している同種の情緒を解放し、それにより快感を得ること。』という意味だ。

極端な例えで言うと、世界を救う使命を持ったストーリーにおいて、主人公が最初から世界最強で、何の苦労もなくラスボスを倒せてしまったら何の感動も面白みもない。
色んな試練や悲劇を乗り越えるからこそ面白い、ということになる。

競技スポーツにおける内在的な幸福というのは、このカタルシスを自ら体現できるところにあると思う。
別にレクリエーションだからといって何も困難がないわけではないが、楽しむことそれ自体が目的化してしまうと、やはりカタルシスを得ることは難しい。

なんか堅苦しくなってしまったが、より簡単に言うと「普段はめっちゃ辛いし、特に良いことがあるわけでもないし、それがいつ報われるのかもしれないけど、どこかのタイミングでそれが報われた時は物凄い快感だよ!」ということだ。

外在的な幸福

これは富や名声など外的に評価されるもの。
スポーツを通じて普通に働いていたら得られなような報酬を得たり、英雄的な扱いをされたら、それは大変気持ち良いものだ。

そこまで行かなくても、例えば甲子園に出場したら一生ものの勲章として、おじいちゃんになっても孫に自慢できたりする。

それはより競争が苛烈な中で勝ち取ったものであるほど評価が高まるし、それを得ると何かを自分の肩書にできて美味しいし嬉しい。
むしろ競争がない世界ではそういった勲章自体が発生しない。

難点としては内在的なものは自分で簡潔するけど、こちらは誰かを蹴落としていかないと得られないので、むしろ得られる人が少数派だということが挙げられる。

試行錯誤する過程が楽しい

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まず競技スポーツというのは段々年齢を重ねていくたびに難しく、辛いものになってくるものだ。
幼少期は和気藹々と与えられたメニューをこなしているだけでも楽しいものだが、それではだんだん思うような成長カーブが描けなくなる。

というのもある程度、技術的な基礎が出来上がって、肉体的にも成長していくと、普通に練習をこなしているだけだとそれほど伸びしろがなくなるからだ。

漫画のように人一倍の練習をしたからと行って上手くなるとは限らないし、練習する方向が間違っていたら下手になる可能性すらある。

というかスポーツはとても残酷なもので、例えば100m走なんかはどれだけ凡人が一生懸命練習したところで伸ばせるタイムに限界があって、ロクにスポーツは経験はないけど猛烈に運動神経が良いやつが走ったら一瞬でそのタイムを抜くことがある。
競技にもよるが、ぶっちゃけ綺麗事抜きにして言うと、マクロ的には才能がほとんどのファクターで、一定以上の才能に満たなければ何か別のやり方を探すしか無い。

かといって現実的には練習メニューの大半は全体練習で、それほど自主的な時間が与えられていなかったりもする。
その自主的な時間の中で工夫していくか、それとも全体練習の時間すら必要なことしかやらないというチャレンジャー的なことをしていくかとか、色々と選択肢があったりする。

素直な子が伸びるみたいな綺麗事が言われるが、プロ野球で言うと野茂英雄やイチローはコーチの言うことに逆らって伸びてきた選手だ。
もしも素直に大人の言うことを聞いていたら大したことのない選手で終わっていたかもしれない。

かといって全員が野茂やイチローのようなチャレンジャーになればいいというわけではない。
今置かれた環境や自分の性格などを加味して、今自分が何をすべきかということを幅広く捉えて練習していくのが重要で、その過程こそが面白かったりする。

ちなみにゴトーは割りとチャレンジャー気質で、長いものに巻かれない方だったが、それで最初の2,3年くらいはほとんど上手くいかなかった。
3年ちょっと経過した時点で、徐々に自分の操り方みたいなのが分かってきて、長いものに巻かれてきた連中を抜いていく過程が人生の中で最も躍動していた気がする。

失敗から成長することが楽しい

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失敗というと、この画像のドーハの悲劇のような壮大な失敗でなくてもいい。

例えば自分なりに努力したり工夫した点が小さく実った時に、自分の中で嬉しくなって浮かれてしまうことなんて割りと誰でもある。
そんな時に多くの人は現状維持バイアスにかかって、今やってることをやっていけばいいんだ、みたいに考えがちだが、不思議と現状維持バイアスにかかると上手く行かなくなる。

上手く行かなくなって初めて浮かれていたことに気づいて、また軌道修正して…ということを繰り返していくが、それも何度も経験してくると、だんだん自分が浮かれてくるタイミングとか浮かれたらどうなるかが分かってきて、それを未然に防げるようになってくる。

ただそれを完璧に防ぐことはどうしても難しくて、例えば野球でも思いがけないホームランが出たりすると、その良いイメージに拘ってしまって本来のフォームを失って調子を崩すことがある。
プロですらそういった失敗の繰り返しなので、アマチュアの人間ならあって当たり前だ。

こういった細かい失敗と成長のサイクルを繰り返せることってなかなか日常ではなくて、やってる時はしんどいのだが、終わってみれば刺激的な日々だった気がする。

もちろんこのような手に負える程度の失敗だけなら良いのだが、それ以上のどうしようもないような失敗はどうしてもやってくるし、そんな時には気力で挫けないようにするしかない。

綺麗事だけじゃないけど楽しい

まあこんな風に言葉にしてみると、何か自分が天上人になったかのような錯覚を覚えるが、実際のところプレイヤーからすると日々そんなことを考える余裕なんて無くて、練習は辛いし、練習場に行きたくないと思うことなんてしょっちゅうある。

人間関係だって清々しいものばかりではないし、部活内のいじめだってよくあることだし、スポーツをすれば心優しい人間になるなんてまやかしだ。
それでもいざこれまでの経験を振り返ると、あれだけ楽しい経験はこの先できないんじゃないのかとすら感じる。

というかプロットもなく書き殴っていたら、結局最後は精神論みたいになってしまって申し訳ない。
どうせこんな記事誰にも読まれないから、「クソ記事書きやがって」と内心思うくらいにしてほしい。

競技スポーツの成功を他の分野に持ち込まない方が良い

スポーツを持ち上げてるのかディスってるのか結局わからなくなってしまったが、最後に言いたい。

部活動などでもスポーツに優れている選手は勉強できなかったり、サボっててもいいみたいな風潮は良くない。

別にスポーツで優れてるのはたまたま才能があっただけかもしれないし、人一倍の努力をしていたとしてもそれは単にその人が望んでいるだけにすぎないからだ。
ましてプロになって食える人なんて一握りだし、それで食える保証が100%あるならまだしも、そこで咎めるものを咎めなかったらその人のためにもならない。

優れたスポーツ選手が発言したことは全て盲目的に信じる人が結構いるが、そういうのもやめた方が良い。

その選手が専門スキルを得てきた過程というのは、その人なりの環境や性格などに根差したものでしかなくて、とても一般化できるものではないし、ましてやスポーツ以外の分野に適用するのはなおさら良くないと思う。

というかスポーツ選手なんてスポーツ以外のことは素人でしかなくて、それを盲目的に信じちゃう人もその人なりに築いてきた人生観があるはずだから、そこにもっとプライドを持っても良いんじゃないのかと思うのだが、不思議と信者化してしまうのが恐ろしいところでもある。

スポーツ選手なんて自分がやりたいからやってるだけだし、ファンはそこから非日常的な刺激を貰えるからそこに対価をしてお金を支払っている構図が前提としてある。
もちろんそれだけじゃなくて人生救われたんだ、とか子供たちに夢を与えたいんだ、とかそういった副次的なモチベーションはあるだろうが、大元にあるのはこんなものだ。

だからあんまり社会的意義があるからやりなさい、とか心優しい人間になるからやりなさい、みたいな勧め方はしない。
それでも競技スポーツやると思いがけず猛烈に快感を覚えられることがあるかもしれないからやってみると良いかもよ、というのが俺の結論だ。


ところで、今回初めて雑記というものを書いたが、予想以上に難しいことがわかった。
あまりにもひどい文章になったことに俺自身が驚いている。